夜の学校、玉手箱

澤田眞宏です。日記です。宜しくお願いします。

責任者はどこだ。

ここ一年、頑張ろう頑張ろうと自分に言い聞かせながら自堕落な生活をしている。頑張ったら疲れちゃうから頑張らないのが仕事だよ、と言い聞かせてもいる。頑張り方を忘れてしまった。

大学2,3年生の時は、1年生のときのツケを支払うように教職課程を含めた単位の回収、徐々に厳しくなっていく専門の勉強、先代部長が失踪しておじゃんになった文化祭を皮切りに部活動の立て直し(部長は1年半やった)、精神的に苦しい某ハンバーガーショップのバイト、はじめての固定シフトの塾講師のバイト、とがむしゃらだった気がする。ただ、自我なんかどこにもなかったように感じる。なにも考えられていなかった気がする。そんなことないだろうけど。

書き連ねて思ったが、「苦しい」と感じた全てを切ってきた。

教職課程を辞退し、部活は引退。バイトは店舗を変え、休学し、塾講師も辞めた。私に残ったものはなんだろう。

「頑張る」にはある程度の苦しみが必要なのか?

苦しくて堪らなかったあの2年間は苦しいなりに充実していたと今でも思う。「頑張っていたなぁ」と。ただ、あの時の記憶は薄らぼんやりしていてあまり思い出せない。苦しくてフラフラしながら歩いていた。課題もどうこなしていたかわからない。ああ、時間があればあれ読んでこれ勉強して…とか思っていた。馬鹿め。半年空いても何も出来なかったよ。

私は多分加減が下手くそで、死ぬギリギリまでやって、全部辞めてしまう。そしてまた、全部始めようとしている。へたくそめ。

頑張ることは苦しみなのだ。そんなことすら気付けない。苦しくないことに、頑張らないことに慣れてしまった。

どうやって頑張ればいいのだろう。強制力のない世界で、わたしはどう自律すればいいのだろう。責任者はどこだ。